ATARIの栄枯盛衰を内側から見ていた日本人がいた。日本版「ATARI GAME OVER」プロデューサー黒川氏による,木村ひろ氏へのインタビューを掲載

ATARIの墓場」から掘り出されたのは,「E.T.」だけではなかった。4Gamerで先日(2015年9月1日),日本版「ATARI GAME OVER」のプロデューサー 黒川文雄氏との対談インタビューを掲載したが,その中で,ATARIが最盛期を迎えていた当時,その社内に日本人のイラストレーターが在籍し,しかもあのATARI版「E.T.」のイラストを描いたことが明らかになったのだ。

 

黒川文雄氏が日本版「ATARI GAME OVER」を製作するに至ったキッカケとは。アタリショックと「E.T.」の都市伝説にも迫ったインタビューを掲載

 そのイラストレーターというのは,現在ニューヨークでフリーのイラストレーターとして活躍する木村ひろ氏だ。氏は,1981年にATARIに入社。ATARIが北米ゲーム市場で80%のシェアを獲得し,まさにピークの状態だった時から,いわゆる「アタリショック」が起こり北米ゲーム市場が崩壊へと進むまでの3年間,同社でパッケージや説明書などに使われるイラストを描いていたという人物である。これまでに,そのような人物がいたということは知られておらず,その事実に驚いたのだが,いったいどのような人なのだろうか。

 今回,Skypeを通してニューヨークの木村氏に直接インタビューをした黒川氏が,その内容を4Gamerに寄稿してくれた。ATARIの栄華から衰退までを内側から見ていた木村ひろ氏のインタビューを掲載しよう。